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  • 2015.02.12 Thursday

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    ペットの思い出。

    • 2014.01.25 Saturday
    • 22:38
    小学校高学年の頃、うさぎを飼いたがった。
    もともと犬や猫には興味がなく、動物の中ではうさぎが一番好き。
    親戚の家や小学校で飼っていたのが可愛くて、
    自分も飼いたいと思ったのだ。

    しかし、我が家はマンション暮らしなうえ、母が動物嫌い。
    ある程度分別のつく年齢になっていた私は、
    ペットを飼うなんて、はなから無理だと分かっていたので、
    自分の希望を主張して親を困らせたことはない。

    ペットを全く飼ったことがないわけではない。
    我が家で最初に飼ったのは、金魚。
    夏祭りですくったヤツを育てるべく、
    父と一緒に水槽や藻やエサを買いに行き、ベランダで飼った。
    「キンちゃん」などと如何にも安易な名前を付け、
    時折眺めて楽しんだものだ。
    しかし、金魚すくいの金魚の寿命は短く、
    やがて、水面に浮かんで死んでいるところを発見。
    可愛そうなので、マンションの植え込みに穴を掘って埋め、
    石で囲って、アイスキャンデーの棒を立て、お墓に見立てた。

    似たような経験は他にもある。
    おてんばだった私は、公園でコオロギを捕まえてきて、
    「コロちゃん」と命名、またベランダで飼うことにした。
    コロちゃんの家には、主を失い空になった水槽を利用し、
    エサには茄子とキュウリを与えたが、これもまた、やがて死んでしまう。
    その時もキンちゃん同様、マンション植え込みにお墓を作ってやった。
    ちなみに、キンちゃんの墓もコロちゃんの墓も、数日後様子を見に行くと、
    周囲の石ころやアイスの棒は、決まって跡形もなく撤去されていた。
    恐らく、清掃員のおじさんに見つかり、整備されてしまったのだろう。

    そう言えば、近所のどぶ川でおたまじゃくし(命名「タマちゃん」)を
    捕らえて、飼ったこともある。
    ただ、おたまじゃくしは、金魚やコオロギとは違い、
    いつまでもおたまじゃくしでいるわけではない。
    黒い体に手足が生えてきた時点で、
    間もなくカエルになるのを気味悪がった母の厳命で、
    また元の場所へ帰すハメになったのであった。

    今、またペットを飼いたいかといえば、飼いたくはない。
    世話が面倒だし、いずれ訪れる別れは悲しい。
    そして、何より、大人になった私は、
    少々潔癖症気味であり、動物に触れるのが苦手だ。
    動物が恋しくなれば、たまに水族館へ行ったり
    テレビで自然番組を見たりする程度がちょうど良いと思う次第である。

    -----
    JUGEMテーマ:思い出のひきだし

    子供の頃、よくした遊び。

    • 2013.10.19 Saturday
    • 12:59
    子供の頃、両親は一人っ子の私に甘かったが、
    だからと言って、おもちゃはあまり買ってもらえなかった。
    そのため、そこら辺にあるもので自分なりに工夫しながら遊んだものだ。

    例えば、
     縄跳び
     鉄棒
     石蹴り
     昆虫の捕獲
     おたまじゃくしの捕獲
     ひとりゴム跳び(椅子や取っ手にゴムを引っ掛けて固定)
     リビングの柱によじ登る
    結構おてんばだった。。。

    部屋の中での遊びも好きで、
     リカちゃん人形
     シルバニア人形
     ぬいぐるみ遊び
     お絵かき
     塗り絵
     日記を書く
     漫画を描く
     迷路を描く
     あやとり
     折り紙
     ビーズ遊び
     工作
     読書
     靴など自分の持ち物に名前を付けて話しかける(!)

    親にせがんで一緒に遊んでもらったのは、
     おはじき
     ビー玉
     しりとり
     銀行屋さんごっこ
     ハンバーガー屋さんごっこ
     写真屋さんごっこ

    あやとりの紐とゴム跳びのゴムは、
    母の裁縫箱に入っていた毛糸とパンツのゴム。
    虫やおたまじゃくしの捕獲網は、
    父がみかんネットと針金を用いて手作りした簡素なもの
    04/07/08 虫取り網の思い出。参照)
    本は図書館で借りる。
    お絵かきの紙は、チラシの裏を使用。
    銀行ごっこに使うお金や銀行の粗品、通帳はチラシで作り、
    写真屋ごっこのカメラはかまぼこ板を使って工作した思い出が…。
    なんか、物の無い時代の子供みたいだ、、、(^_^;)

    それにしても、今振り返ると、下3つに書いたごっこ遊びが
    女子としてはマイナー分野な商売ばかりで、なんか笑ける。
    幼少時代の私、女の子らしくケーキ屋さんや洋服屋さんを
    営む気はさらさらなかったようだ( ̄ー ̄)

    -----
    JUGEMお題:こどものころ、よくしてた「遊び」ある?
    JUGEMテーマ:回想

    合唱コンクールの思い出。

    • 2012.09.22 Saturday
    • 17:25
    笑ってよ 君のために〜 笑ってよ 僕のために〜♪

    先日、偶然テレビで さだまさしの『道化師のソネット』が
    流れるのを聴いて高校時代の記憶が蘇った。

    高校の文化祭では各学年クラス対抗の合唱コンクールが開催された。
    ここでは、高3の先輩が合唱コンクールで優勝してクラスじゅう涙する
    という光景が毎年見られ、私達は高3でのコンクール優勝に憧れた。

    秋の放課後は、学校じゅうどこからともなく歌声が聞こえた。
    屋外から地下食堂へつながる階段に整列して音を合わせたり、
    チャペルの裏でパート練習したり…。
    中高合わせて全36クラスあったので、それはそれは賑やかだった。

    3年D組は、教師を怒らせて授業が成立しないこともある
    学年で一番の問題児クラス。
    自分達の何がダメだったのかは覚えていない。
    というか、当時もよく分かっていなかったと思う。
    ただ、学校が好きだった私は、自分の属するクラスが
    問題になっていることに心を痛めていたし、
    一方で、「しょーもな…」と冷ややかに思ったりもしていた。

    このクラスで選曲したのが、『道化師のソネット』だ。
    聖歌隊の部長が合唱指導を担当し、毎日練習した。
    ある時、こんなバラバラじゃ優勝できない…泣く子があった。
    私も優勝したいという思いは確かに持っていたが、
    そこまで熱くもなれず、たぶん駄目だろうなと半分諦めていた。
    担任の先生は、本当か嘘かはわからないが、
    「これまで私が担任した高3のクラスはずっと優勝してきた」
    と言ってみんなを励ましてくれた。
    先生の気持ちが嬉しかった。

    本番当日、クラスメートが合唱コンクール会場の
    チャペルの床に手鏡を落とし、音を立てて割れた。
    そんなこと滅多にあるもんじゃない。
    なんて縁起が悪い…という雰囲気が漂ったが、
    誰かがすかさず、この鏡が身代わりになってくれたんだ、
    だからきっと勝てる、と言った。

    結果、生徒達の投票により、優勝。
    私もその時ばかりは感動して涙が止まらなかったのを覚えている。
    美しいハーモニーや、歌い上げた時の充実感は強く記憶に残り、
    この経験は、楽譜の読み方すら知らない自分が、後にゴスペルを習い、
    一万人の第九に参加するきっかけとなった。

    -----
    JUGEMテーマ:合唱

    ルール音痴。

    • 2012.08.21 Tuesday
    • 19:27
    私の運動オンチは、競技ルールが覚えられないところから始まる。

    通っていた小学校では、4〜6年は週1回、5,6時間目にクラブの
    時間があり、全員何らかのクラブに所属することになっていた。
    4年の時に選んだのはバドミントン。
    クラブの時間、顧問教師から競技ルールについて説明を受けたが、
    これが全くもって理解できなかった。
    今思えば、それまでスポーツ競技に無縁だった私は、
    どういう時にサーブ権が移動するかをいきなり説明されても、
    サーブの意味すら知らなかったのだから、躓いて当然である。
    言わずもがな、そんな私にバドミントンのセンスがあるはずもない。
    試合では負けてばかりだったので、くじか何かで私と
    ダブルスを組まされていた6年生(しかも部長)に対しては、
    いつも悪いなと思っていた。
    この反省もあり、5,6年では文科系クラブを選び、
    また、中学から大学までも一貫して文科系または帰宅部で通した。

    しかし、学校には憎き体育の授業が存在するので、
    私はここでたびたび何らかの競技をやる機会に見舞われた。
    5年になるとキックボールをやることが多かったが、
    これまたルール不明。
    「野球と同じだから」という雑な説明しかされず、
    この流れからすると恐らく一般常識なのであろう、
    野球のルールを知らない私には、理解しようがなかった。
    サッカーもバスケもバレーも、何もかもこの調子である(-_-;)

    何故、今、唐突にこんなことを書いたかというと、
    先日、テレビでオリンピックの卓球や女子サッカーを観戦していて、
    ルールがよく分からんなと思ったから。
    この時、久しぶりに、ああそう言えば自分は子供の頃から
    競技ルールが分からないタチだったなと思い出したからである。
    こんな私でも、愛ちゃんやなでしこジャパンのメダルには感動した。

    大人になると、自分と縁のないスポーツのルールなんて
    知らなくても何一つ困らないが、知らないよりは知っていた方が
    観戦をより楽しめるだろうなとは思う。

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    JUGEMテーマ:苦手なモノ

    小学校卒業の思い出。

    • 2012.03.28 Wednesday
    • 21:08
    “卒業ソング”と言って思い出すのは、この歌。

    いま終わる 一つのこと
    いま越える 一つの山
    風わたる 草原
    響き合う 心の歌
    桑の海 光る雲
    人は続き 道は続く
    遠い道 遙かな道
    明日登る 山も見定め
    いま終わる 一つのこと


    小学校の卒業式で二部合唱した、『一つのこと』だ。

    小5の時、在校生代表として卒業式で一つ上の先輩を見送った時、
    この歌を合唱するのを聴いて良い歌だなーと、
    私達も卒業式で歌いたいと思った。
    当時、私の学校では毎年これを歌うことになっていたのだろう、
    一年後、思い通り『一つのこと』を学年全員で合唱し、卒業した。

    私にとっての小学校生活は、前後半に2分割される。
    小4に進級する時、校区変更があり学校を替わったからだ。

    前半3年間は、楽しい思い出が多い。
    特に小3の頃は活発な方で、休み時間になると
    ボールを持って校庭を駆け回っていた。
    給食の時間は教室を走り回って担任の先生に酷くしかられたっけ。
    あれ以降、今に至るまで、全くそういうキャラではないので
    自分でもどうやってそんな風に過ごしていたのか不思議なほどである。

    逆に後半3年間は、あまりロクな思い出がない。
    前の学校は楽しく仲の良い友人もいたのに、
    オトナの都合で転校させられたことで
    大人や地域社会に不信感を持つようになった。
    ちょうどそんな転校の時期と重なって、
    親の意向で進学塾へ通うようになった。
    学校の勉強は、塾の勉強と比べ遥かに簡単すぎてつまらなかった。
    文字どおりコドモだった私はそれをあからさまに
    態度に表すものだから、当然の如く教師にも嫌われていた。

    そんな小学校の卒業式では、男子でも泣いていたが、
    一粒の涙も出なかったな。
    別れが寂しいと思うほど学校に思い入れがなかったし、
    新生活への希望も持てずにいたから。

    ま、考えてみれば、小学校に限らず、中学、高校、大学の卒業式でも
    あまり泣いた覚えはないけれど…冷めてるな、私(-。-) ボソッ

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    JUGEMお題:思い出の卒業ソングは?

    化学の思い出(2)

    • 2011.12.25 Sunday
    • 00:02
    (続き。)

    商学部3回生の時、公務員を目指し始めた。
    公務員試験には専門科目と教養科目があり、
    教養科目の中には自然科学という分野がある。
    その内容はまさに高校で学習した化学・物理・生物・地学・数学。
    当時通っていた資格試験予備校で自然科学を教わった先生は
    授業も雑談も面白く、私とウマが合った。
    その先生の勧めで、高校生向けの化学図説を購入し、
    改めて勉強してみると何とも興味深いこと。
    化学に対する感じ方が高校時代と180度変わったので、自分でも驚いた。

    十代の頃、理系を自覚しながらも文系に進んだ私。
    結果的に、商学部の授業は興味深くて面白かったし、
    今携わっている市役所の事務仕事も、
    どちらかと言えば自分に向いているとは思う。
    ただ、今になって振り返ってみれば、
    15歳の時、自分が経験したものとは異なる出会いをしていたら、
    自分の人生は全く違ったものになっていたかもしれないなと。
    一人で何種類もの人生を経験することはできないので、
    どちらが良かったのかは知る由もないし、
    別に今さらあの教師を恨む気もない。
    ただ、ちょっとした巡りあわせによって、
    人生の歯車がかみ合ったり合わなかったり、
    また、思いもしない別の歯車とかみ合ったりする不思議を感じている。

    -----
    JUGEMテーマ:化学

    化学の思い出(1)

    • 2011.12.24 Saturday
    • 21:46
    高1の時、化学の授業で実験をやるたびに、実験内容と結果、
    考察などをノートにまとめて提出するという課題が出た。
    地元の公立中学から中高一貫の私立高校に進学したばかりで、
    高校の勉強の要領を掴むのに苦労していた頃の話である。

    初めての実験授業の後に、自分が提出した実験ノートの
    教師の評価は1から10まであるうちの“3−(3マイナス)”という
    思いがけず厳しいものだった。
    中学時代はテストや提出物で真ん中より下の評価をされたことが
    なかった私、これにはショックというより驚いた。
    その後も実験の度に真剣に課題に取り組んで提出したつもりだが、
    評価はいつも相変わらず3〜4。
    如何にも悪い所だけを見つけて指摘されている感じだった。

    私はたちまち、化学の教師が大嫌いになった
    (実験ノートのエピソードはあくまで一例…
    詳しく覚えていないが、他にも気に食わない点が多々あった)
    思春期真っ只中で多感だった私は、一度そう思ってしまうと、
    話を聞くのも鬱陶しく、その教師が視界に入るだけでも
    気持ち悪くなるほどに。
    仕舞いには私の横を通り過ぎるだけで
    眉をひそめ息を止める始末であった。

    当然の流れとして、化学そのものも嫌いになった。
    大体、学習内容も、モルの計算とか意味不明。
    実験なんかは、その目的からしてさっぱり分からなかった
    (だから評価が低かったのだが。。。)

    耐えること一年。
    高2に進級すると、めでたく化学とは手が切れた。
    代わって学習するようになったのは物理で、
    担当教師が変わり、授業内容は頭にスッと入ってきた。
    また、この頃から数学の成績も伸び、周囲は、
    私のことを当然理系に進むと思っていたようだ。

    しかし、迷った挙句、卒業後の進路は商学部を選択。
    エスカレーター校で、系列大学には工学部があったが、
    どうしても実験が苦手というのが頭にあり、
    そちらへ進む気になれなかった。
    理論は得意でも、あの実験ノートのことを思い出すと、
    毎日実験に追われる学生生活なんて私には到底無理だと思った。

    (続く。)

    -----
    JUGEMテーマ:化学

    運動会、今むかし。

    • 2011.09.27 Tuesday
    • 17:08
    11日間にもわたった遅めの夏休みもとうとう最終日。
    今日は一日家で過ごしている。

    只今、家の前の保育所では、運動会の練習中。
    お遊戯のBGMはEXILEのI Wish For You…これが一日じゅう流れ、
    踊りの振付けや園児の掛け声を男性保育士が教えている。
    何だか時代の変化を感じさせられる。

    運動会といえば、自分が子供の頃は、気が重い行事の一つであった。
    と言うのも、良く言えば自分を持っている、悪く言えば協調性のない
    ワタシは、元来、みんなと一緒に何かをやるのが大嫌い。
    それなのに、入退場などわけの分からぬ練習に毎日時間を割かれ、
    足が揃ってないだのしっかり手を振れだの怒られる。
    踊りを覚え、皆と動きを合わせなければなければならない
    ダンス種目などは苦痛の極みであった。

    それだけではない。
    幼稚園の運動会では、パン食い競争ならぬ“アメ食い競争”があった。
    これは、白い粉の入った容器に顔を突っ込み、
    中に埋もれたアメをくわえて真っ白な顔でゴールするというものだ。
    しかし、大変汚らしいうえ、そうまでしてアメなど食べたくないわいっ!
    と思ったワタシ、アメの容器の前で立ったままフリーズ、、、( ̄ー ̄;
    他の全員がゴールしたのを見計らい、
    手でアメを掘り出して口に入れ、ゴールした次第である。

    こんな記事を書いていたら、夕方になり、
    今日の運動会練習は終わった模様。
    かけっこの練習は一人ずつ走っていたので、本番もそうなのだろう。
    子供に足の速さを競うようなことをさせないのも時代の変化か。
    親としては我が子をきっちりカメラに収めることができ有難いだろうが、
    こんな環境で育った子供、将来大丈夫かな?!と心配になるのも事実。
    ま、アメの前で固まった人間に言われたくもないか(;^_^A アセアセ・・・

    -----
    JUGEMテーマ:運動会・体育祭

    血は争えぬ。

    • 2011.05.25 Wednesday
    • 21:07
    幼稚園の時、遠足で大阪の天王寺動物園に行き、
    後日、そこで見た動物の絵を描くという課題が出た。

    その時、私達の担任は、絵の具を調合して薄オレンジ色を作り、
    フラミンゴを描きたい子はこれを使いなさいと言って、
    パレットか何かにオリジナルの“フラミンゴ色”を置いた。
    きっと園児にフラミンゴを描かせたかったのだろう。
    実際、多くのクラスメートが担任の思惑どおり
    その色を使ってフラミンゴを描いた。

    一方、私は、迷うことなくウサギを描いた。
    理由は一番好きな動物だからだ。
    さらに、このウサギを一番好きな色で塗りたくて、
    これまた迷うことなく全身をピンク色に塗った。

    出来上がった作品を見た担任のコメントは、
    「ウサギはこんな色じゃない」

    ・・( ̄□ ̄;)!!

    当時、少なからずショックを受けたが、母にこの話をすると、
    「それは先生が間違っている。
    お母さんはかなの描いたうさぎが好きだよ」
    と言ってくれて安心した。

    *****

    ピンクうさぎ事件から何年も経った或る日、
    血筋を感じる出来事があった。
    当時絵を習っていた母方の祖母から聞いた話だ。

    「ばあちゃん、この間、絵描いたら、
    先生がそれはこんな色ちゃう言うねん」
    幼き日の自分と全く同じ状況だ。
    それを言われた祖母は何を思い、どう対処したのだろうか。

    「腹立って、私の目にはこう見えるんですって言い返したってんるんるん
    そしたら、それ以上何も言われへんかったわ( ̄ー ̄)ニヤリッ」
    さすが、無敵の我が祖母!(^-^)//""パチパチ
    今思い出しても恐れ入るわ…。

    それにしても、自分の直感を信じて行動するこの自由奔放さ、
    やっぱり血は争えんなぁ、、、σ(^◇^;)

    -----
    JUGEMテーマ:むかしのはなし。

    少食だった…。

    • 2010.08.31 Tuesday
    • 23:59
    幼少の頃、食事をすることが嫌いだった。
    というのも、私は人一倍少食で、
    食事の時間になってもお腹がすかないのだ。
    それでも一日3回、否応なしにご飯を食べさせられるが、
    毎日憂鬱でたまらなかった。

    幼稚園の頃、水曜と土曜以外はお弁当があった。
    しかし、子供用のお弁当箱でも私には大きすぎた。
    そこで、家にあった7cm×9cmほどのカメラフィルムケースを
    弁当箱にしてくれるよう頼んだが、母はそれじゃ少なすぎると言って
    取り合ってくれず、弁当箱におにぎりとおかずを詰めるのだった。

    そんな私にとって、小学校は悲惨だった。
    何せ、給食がある。
    量は多いし、味はまずい。
    低学年の頃、無理に食べて、よく吐いてしまった。
    食べ終わるのは常にビリで、給食時間が終わり掃除の時間になっても、
    埃まみれになりながら一人まずい給食と向き合っていた。
    コッペパンはほとんど口にしたことがなく、
    6年間毎日ビニール袋に入れて持ち帰り、
    最終的には母の胃の中へ収まった。

    給食のトラウマで、今でも食べられないものが多々ある。
    酢豚、あずき、フルーツサラダ、デミグラスソースを使った料理、
    ミンチ肉料理(ミートボール・ハンバーグ・マックバーガーetc…)だ。

    しかし、こんな私でも、給食で唯一好きなものがあった。
    “ミルメーク”、牛乳の中に入れる茶色い粉末だ。
    コーヒーだったかココアだったかの味がして、甘くて美味しかった。
    所詮子供騙しなので、たぶん今飲んでも何とも思わないだろうが、
    当時は給食にミルメークが出ると嬉しかったものだ。
    ミルメークは月1回も出ないのに、母にも共感して欲しく、
    粉を半分残して袋の空け口をセロテープで留め、
    家に持ち帰ったこともある。

    成長と共に、私の少食は直り、今ではよく食べるようになった。
    仕事や運動をしたらたちまちお腹が鳴るし、
    家でただテレビを見てダラダラしているだけでも減る。
    それどころか、夜寝て朝起きたらもう空腹だ。

    子供の頃、ご飯を一膳食べるだけで
    「残さず食べてえらいえらい(^_^)」
    と褒めてくれた母からも、今では
    「あんた、そんなに食べたらブタになるで( ̄ー ̄)」
    と言われる始末である。

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